日本橋キリスト集会
                
Nihonbashi Christ Assembly
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       2010年8月29日(日) バイブルアワー
     

    残暑厳しい中、8月の第5日曜日のバイブルアワーに多くの求道者の方々が導かれ
    感謝なひと時
を持つことができました。今回は埼玉県の上里キリスト集会の市川忍さんを
      お迎え致しました。市川さんは、生徒数およそ630人の中学校の校長先生です。
      全生徒の内、100人位は離婚をしている家庭環境にあり、又、給食費を払えない生徒も
      多数あるという今の厳しい社会環境をそのまま反映したような中学校の現状を語って下さい
      ました。こうした厳しい社会環境に生きる私たちは、日々何らかの疲れを感じています。
      その現実をふまえた上で「疲れた人へのメッセージ」というテーマで話されました。


             


     人は、日々の労働その他色々な原因から来る疲れの他に、もっと深い部分で疲れをもって
     生きているのではないでしょうか?それは「自分は何のために生きているのだろうか?」
     「自分は何の為に働いているのだろうか?」という問いにあるような根源的な疲れを持っている
     のではないでしょうか。この「疲れ」ということばは、ギリシャ語では「ハマルティア」といいます。
     このことばには「疲れ」という意味の他にもうひとつ「的はずれ」という意味があります。聖書の
     中にも「的はずれ」という意味のことばが出てきます。それは「罪」ということばです。聖書では、
     人が神と共に歩むという本来の生きる目的、方向性からはずれて、何の為に生きているのか
     わからない状態を「罪」とよんでいます。そのよい例として、ルカの福音書15章11節〜21節の
     放蕩息子のたとえ話を見てみましょう。
     
     父の生前に財産分けを申し出た息子・・・「それから、幾日もたたぬ内に、…遠い国に旅立った。
     そしてそこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。何もかも使い果たした後で、その国に
     大飢饉が起こり、彼は食べるにも困り始めた。」(13節〜14節)誰一人として彼に食べ物をあたえ
     ようとはしなかった。そのような時、彼はわれに帰り、「立って、父のところに行って、こう言おう。
     『おとうさん、私は天に対して罪を犯し、又、あなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と
     よばれる資格はありません。雇い人のひとりにして下さい。』」(18節〜19節)・・・・・
     この放蕩息子の心の叫びはこうでした。・・・「私は、天に対して的はずれ(ハマルティア)な人生を
     過ごしてきました。そしてお父さんに対しても不誠実な的はずれ(ハマルティア)な人生を過ごして
     きました。」・・・そして彼は、父のところに帰ろうと決心したのでした。「父」という戻るところが彼には
     ありました。戻るところがあるという事は、なんと幸いな感謝な事でしょうか!

     このたとえ話の父とは、神様のことであり、放蕩息子は、神のみもとから離れ自分勝手な道を歩んで
     いる私たち人間を指しています。私たちが、深い部分で覚える根源的な疲れは、神のみもとから
     自分勝手にさ迷い出た故のものであり、人は人が本来戻るべきところ、帰るべきところである神の
     みもとに帰らなければ、この根源的な疲れから真の意味で解放されないのです。聖書の中のイエス様
     も次の様に言っています。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
     わたしがあなた方を休ませてあげます。」(マタイの福音書11章28節)
     この様に、人は真の神と出会い「自分は神様の前で価値ある存在として認められている。自分は
     そのままで神様に受け入れられ愛されている」という基本的信頼(Basic Trust)を築きあげていく
     時に、本当の休息・安らぎ・平安を得られるのです。

     うつ病、ひきこもり、3万人を超える自殺者の数等々、心の疲れを訴えている赤信号が、今の社会の
     至る所で点滅しています。そういう社会に生きている私たちに、市川さんのお話は心に大変響きました。
     今日のメッセージを聞かれた方々が、自分の心を探り、その中から真の神様と出会われる事を祈って
     やみません。