日本橋キリスト集会
                
Nihonbashi Christ Assembly
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       2012年7月29日(日) バイブルアワー
    
               
     今回のバイブルアワーは7月第5の日曜日に大阪・高槻キリスト集会より、
     朝日奈隆さんをメッセンジャーとしてお迎えして聖書のお話を伺いました。
     お話のテーマは「愛が人を作る」〜不変の聖書から教育をみる〜でした。
     朝日奈さんは、今年3月に中学校の校長先生を退職され、学校の先生の目線から
     色々な事をごらんになっていらっしゃいます。
 
                    


     
     今の社会は、何か事がおこっても自分の事として真剣に考えない傾向があります。
     校内で生徒が事件をおこしても親が直ぐに介入してきます。また、朝日奈さんの奥様
     の御実家が福島の河内村で今回の東日本大震災にあわれ、仮設住宅に入り色々な問題を
     抱え大変な環境にありますが、その放射線問題にしても責任を皆でたらいまわしにして
     他人に押し付けています。自らの意志、責任はどこにあるのかと考える事が多くあり
     ます。
     
     聖書のヨハネの福音書4章3節〜15節にはサマリアの女のお話がでてきます。
     水を汲みに来たサマリアの女に対してイエス様が「わたしが与える水を飲むものは
     だれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉と
     なり、永遠のいのちへの水がわきでます。」ー14節ーこの女性は自分が悪い事を
     しているとわかっていますがそれを繰り返してしまいます。人は皆、罪人であります
     ので罪を犯してしまうのです。小さい子供も大人が教えなくてもごまかしたりします。
     ローマ人への手紙3章10節「義人はいない。ひとりもいない。」と聖書に書いて
     あるように人は皆、罪を持って生れてきているのです。妬んだり、陰口を言ったりと
     いうような事も罪なのです。
     そして、聖書には「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まって
     いる」ーへブル人への手紙9章27節ーと書かれてあるように死後に判定を受けなけ
     ればならない時が来ます。その為に人は自分のしたことや過去の自分の罪とはっきり
     向きあって自分の罪を認める事が重要となるのです。

     中学生も自分のした罪はなかなか認めません。又、私たち大人でさえも自分の罪を
     認めるのは難しいものです。自分の罪をどうしたらよいのか(過去の罪をも)わか 
     りません。しかしペテロの手紙第T、3章18節に「キリストも一度罪のために
     死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉において
     は死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。」
     と書かれているように一切の罪のために2000年も前に十字架に架かり私たちの
     身代わりになって下さった方がいます。
     何のために十字架に架かってくださったのか・・・それは、唯一の理由で「神の愛
     なのです。愛は目では見ることはできません。

     朝日奈さんはいらして下さった方々に対して「神様は愛あるお方です。ここに集められ
     た方お一人お一人がその事を信じるかどうか良くお考え下さい。そして、枯れる事のない
     永遠の水を飲む事が出来ます様に」とお話下さいました。