日本橋キリスト集会
                
Nihonbashi Christ Assembly
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       2008年11月30日(日) コーヒーアワー

     
今年最後のコーヒーアワーは、世田谷区にある経堂キリスト集会の三浦富雄さんを
     迎えてイエス・キリストのお話を聞くひと時が与えられ感謝でした。三浦さんは、
     養護学校の先生であられ、(その為か?)黒板にいろいろ書きながらわかりやすく
     聖書のお話をして下さいました。まず、神様の特質は何であるか?という質問から
     お話が始まりました。



      スピーチ中の三浦富雄さん  会場風景    


     「・・・・神は愛だからです。・・・・私たちが神を愛したのではなく、神が私たち
     を愛し、私たちの罪の為になだめの供え物としての御子(イエス・キリスト)を遣わ
     されました。ここに愛があるのです。」(Tヨハネ4章7節〜10節)のみことばを
     引かれ、神の特質は愛」であると語られました。しかしその神の愛とは、どのぐらい
     のレベルの愛なのでしょうか?
     そこでマタイの福音書18章21節〜22節をひかれ「・・・主よ。兄弟が私に対して
     罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。7度まででしょうか。イエスは言わ
     れた。7度までなどとは私は言いません。7度を70倍するまでと言います。」
     このみことばから、人が罪を犯した時、繰り返し何度も赦すのが神の愛である、と
     イエス様は言われたのでした。

     三浦さんはある時、新しい環境に適応できずパニックになってしまう自閉症の子供に
     傷跡が残る程まで噛みつかれたことがありました。三浦さんは、その子の病の特質を
     重々知っていながらも、その時、瞬時反射的に“このやろう!”と思ってしまったそう
     です。このエピソードひとつとっても、人というものは、自分に罪を犯した者に対して
     なかなか赦すことのできない根深い性質をもっている事をご自分の実体験から語って
     下さいました。

     又「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」
     (マタイ5章27節〜28節)のみことばから“神の罪の基準”は、心の中で罪深い
     思いを持っただけで有罪となる基準である事を、図を板書きしてわかりやすく説明
     して下さいました。又「・・・あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けな
     さい。」(マタイ5章39節)とイエス様が語られた様に、神の規準は、非常に高く
     人はとてもこの基準に達する事ができずそれゆえすべての人は罪人と、神はおっしゃ
     るのです。しかし、人の子で唯一この規準に達しておられる方がいました。その方が
     神のひとり子イエス・キリストです。このお方が全人類の罪の為に十字架にかけられ
     死んで下さったのです。

     そして三浦さんは、次の様なたとえ話をして下さいました。
     横断歩道を歩いていたアリさんが、トラックにひかれそうになりました。その時私、
     三浦が自分の身を呈して、アリさんのいのちを助けたとします。この様子を見ていた
     人々は、アリの為に自分のいのちを犠牲にして、三浦は、気がちがったんだと思った
     ことでしょう。
     「イエス・キリストが私の罪の為に十字架についたということは、こういう事なのです」
     と三浦さんは語られました。このたとえ話を聞いていた私は、改めて私という人間が
     神の前において、どんなに小さくみじめで、どの様な存在であるのか気づかされ、また
     胸痛くなりました。最後に三浦さんは「ここで再度、イエス・キリストの十字架の意味
     を熟考していただきたい、そして1日も早く救いを得ていただきたい」と熱く語られ
     ました。