日本橋キリスト集会
                
Nihonbashi Christ Assembly
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   2010年10月10日(日)〜12日(月) 家族交わり会

              
      今年も実りの秋に、在日韓国YMCAアジア青少年センターにて、家族交わり会の
      ひと時が持たれました。今回は、奈良の大和王寺キリスト集会の尼川匡志さんご夫妻
      をお招きして、聖書のお話を計4回していただきました。又、10日(日)の夜には、
      昨年のクリスマス会に来ていただいた大和田広美さんを再度お迎えして、お話を交え
      たすばらしい歌声を聞く事ができました。

        

      
尼川さんは、開口一番「自分は、奈良で集会をもっていますが、コテコテの大阪人
      です。」とおっしゃられた様に、流暢な?大阪弁で楽しくわかりやすく聖書のお話を
      して下さいました。

      10日の午後の第1回目のメッセージは、『聖書の神様とは、どういうお方なのか?
      又、その聖書の神様は、人をどの様にご覧になられているのか?』というテーマで
      話されました。
      日本では、教科書でもNHKでも、大方進化論をもって人の誕生を説明しています。
      つまり、人は、アメーバから進化し自然淘汰されて偶然に誕生したものだという考え
      方です。しかし、聖書では、神様が6日間で全地とこの地にある動・植物等と共に
      人を創られたとあります。(創世記1章1節〜5節・20節〜31節参照)そして
      人は偶然によって創られた存在ではなく、神様によって創られ、しかも一人一人に
      目的をもって創られたと語っています。つまり、聖書の神は、人を創造された神です。
      そして、この神は、“わたしの目には、あなたは高価で尊い。”(イザヤ書43章
      4節)と、ご自身で創られた人をこの様に評価されているのです。このメッセージを
      聞いていて、偶然に進化によってできた我がいのちなら自分でそのいのちを絶っても
      良いだろうという思いが根底にある故に、又、聖書の神を知らないが故に、3万人
      以上の自殺者が毎年あるという今の病める日本の社会のことを思ってしまいました。

      第2回目は、『聖書でいう「罪」とは何か?』というテーマで話されました。
      前回のメッセージで、神は人を目的をもって創られたと話されましたが、その目的
      とは、どのようなものなのでしょうか?その答えが、エレミヤ書29章11節に書か
      れてあります。“わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているから
      だ。ー主の見告げーそれはそれがわざわいではなくて、平安を与える計画であり、
      あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。”そうです!神様は希望・平安の
      ある幸いな人生を人にお与えになりたいのです。しかし、人は、“神様、私は、自分
      で自分の決めた道を行きます。干渉されたくありません。”と自分勝手な道を歩み
      たいのです。この自分の判断・選択がいつも正しいなら問題はありませんが、人の判断
      主観ほど揺れ動きやすく、当てにはならないのです。この様に神が人を幸いにしたい
      という目的からはずれた生き方をしてしまうことを聖書では「罪」とよんでいるのです。
      刑法を犯すといった、人の作った法に対する違反の罪とは大きく違います。



        
     
     2回のメッセージの間に尼川さんの奥様が  夕食は在日韓国YMCAアジア青少年センター
     ソプラノ担当、日本橋の姉妹がアルト担当、 でビュッフェスタイルで韓国料理でした
     韓国からの留学生の姉妹の伴奏で
     「罪に満てる世界」を賛美して頂きました
     
                          

      


       
      夕食の後は大和田広美さんによるコンサートが行われ素晴らしい歌声とメッセージを
      聴くことができました。



     
 翌日11日の午前中の第3回目は、『福音』というテーマで話されました。
      前日お話した「罪」の話をすると、一般の方たちは、私は何の罪も犯してはいない、
      とよく言われますが、よく考えてみて下さい。たまたまそういう罪を犯さない環境に
      自分があった為に罪を犯さないで済んだというだけにすぎないのです。それゆえ聖書
      は、「すべての人は、罪人です。」と言っています。さらに、“そして、人間には、
      一度死ぬことと死後にさばきを受けることが決まっているように”(へブル人への手紙
      9章27節)と書かれているように、@人は、100%だれでも死ぬ、A死んだら
      終わりではなく、死後神の御前に出て審判を受けなければならないのです。では、罪人
      なる人は、神の裁きを受けてアンハッピーで一生を終えるのか、ということになって
      しまいます。そこで神は、救いの道を用意して下さいました。その救いの方法が、
      『福音』(よき知らせ)として聖書に書かれているのです。そうです、神の一人子なる
      イエス・キリストがこの世に下りすべての人の罪の身代わりとして十字架上で死んで
      下さったのです。(ルカの福音書23章32節〜43節には、イエス様の十字架刑の
      場面が詳しく書かれています。)日本人はよく罪を水に流すと言いますが、一度犯して
      しまった罪は決して消えません。罪は、それに対する罰によって消えるのです。神に
      背いた人の罪は、罪を犯したことのないイエス様のあがないの死によってしか決して
      赦されないのです。そうです、イエス様の十字架の死によって、人の罪に対する
      あがない=贖罪が完了したのです。

      そして、最後の4回目は、『信仰・信じるとは?』というテーマを中心に話されました。
      聖書より、12年間長血をわずらい医者にもだまされ続けてきた女性が、群衆の中に
      紛れ込んでイエス様の着物にさわり、その病が癒されたというお話があります。
      (マルコの福音書5章25節〜34節参照)イエス様は長血を患いそれゆえに心身共に
      疲れ心にも大きな渇き・苦しみをもった女性がおられることをすでに知っておりました。
      イエス様は、“あなたのことはすべて知っているよ。あなたの悲しみはよくわかって
      いるよ。”と思われ、彼女のもとに来て下さったのです。この女性は、イエス様なら
      この病を癒して下さると信じてイエス様の御衣に触りました。彼女はイエス様の呼びかけ
      に答えられて、信じて御衣に触るという行動に一歩でたのです。
      そして癒されました。それに対してイエス様は、“娘よ。あなたの信仰があなたを直し
      たのです。”(34節)と言われました。病める彼女の信仰が、神を動かし神の力を
      引き出したと言われたのです。この箇所を通し、イエス様をわが救い主と信じたならば、
      信じて一歩歩み出ることの大切さを教えられました。

      最後に尼川さんは有名な次のみ言葉を示されました。“すべて、疲れた人、重荷を
      負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
      わたしは心優しく、ひりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、
      わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは
      負いやすく、わたしの荷は軽いからです。”(マタイの福音書11章28節〜30節)
      そして「イエス様を信じられてこのまことの平安を自分の者として今日帰って下さい」
      と願いを込めてすべてのメッセージを終えられました。

      幸いなことに、今回の交わり会を通して、信仰告白に導かれた方が2人与えられました。
      大きな喜びと感謝にあふれました。そして又、一泊二日にわたる尼川さんご夫妻のご奉仕
      にも感謝いたします。この家族交わり会で蒔かれた福音の種が豊かな実りをもたらす様に
      イエス様とともに私たち兄弟姉妹も心会わせ励まねばと心新たに思いました。