日本橋キリスト集会
                
Nihonbashi Christ Assembly
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   2011年10月9日(日)〜10日(月) 家族交わり会

              
     今年も水道橋にある在日韓国YMCAアジア青少年センター9階ホールにて、家族
     交わり会のひと時をもちました。昨年に引き続き、奈良県の大和王寺キリスト集会
     の尼川匡志(あまかわただし)幸子ご夫妻をお招きして「福音のメッセージ」と9日
     夜には、お二人の証しをうかがいました。ゆっくり落ち着いてメッセージに耳を傾け
     る幸いなひと時が与えられ、感謝な1泊2日の交わりでした。

           


     第1回目のメッセージのテーマ:「人にとって、神とはどういうお方か?」
     聖書の神は、秩序をもって万物を創り、意味と目的をもって人を創られました。しかも
     神は、人を滅ぼそうと思って創られたのではなく、お一人お一人を幸いな人生に導き
     たいと思われています。詩編23編には、具体的に神と共に歩んだ方の幸いな詩が書か
     れています。これまでの日本固有の八百万の神々的とらえ方ではなく、聖書の神を知る
     世界へ一歩入られ、この神の与える幸いを味わう方となられますよう切に希望します。

     第2回目のメッセージのテーマ:「私たち人はどういう者か?〜罪という観点から」
     聖書では、“すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉をうけることができず”
     (ローマ書3章23節)といっています。又、“罪から来る報酬は死です”(ローマ書
     6章23節)ともいっています。聖書の指す罪は、人をあやめたといった犯罪の罪では
     なく、人が“人を創られた神様なんて知らない”と、神の存在を認めないこと、神の
     存在を無視して生きることを意味します。つまり、神と人との関係が断絶状態にある
     ことをいいます。罪は自己中心です。自分さえよければいいと思うのです。そこには
     神への思いなど全くありません。本来私たちの心の中心には神があるべきなのに、自分
     の思いが中心にあり、この神に心合わせる事ができないのです。それゆえに人は皆必ず
     死ななければならないのです。

     第3回目のメッセージのテーマ:「死をつきぬける勝利の人生」
     “罪人には死が待っている”それで聖書のメッセージは終わりなのでしょうか?もし
     そうであるならば死んで終わり、その先は何もない人生のゴールに向かって今を生きて
     いる私たちは、何とみじめな存在ではないでしょうか。ローマ書6章23節のみことば
     には続きがあります。“罪から来る報酬は、死です。しかし神の下さる賜物は、私たち
     の主キリスト・イエスにある永遠のいのちです”又“御子(神の子イエス・キリスト
     のこと)を信じる者は永遠のいのちを持つ”(ヨハネの福音書3章36節)という
     みことばがあるのです。

     神は罪を受け入れられぬ義なる正しいお方。その一方で、罪人の私たちを受け入れて
     下さる愛なるお方でもありました。神はご自身のひとり子、イエス・キリストを人の
     住むこの世に遣わして下さいました。人と同じ肉体を持ち、喜怒哀楽も持たれましたが
     罪を犯したことのない神の御子でありました。一般的にも罪というものは、それに対す
     る罰をもって報いなければ、決して赦されません。まして神に対して犯してきた私たち
     の罪は、いかばかりでしょうか。神からの罪の赦しは“罪のない方の贖いの死をもって
     でなければ決して得ることはできない”と聖書は言っています。全人類は、すべて罪人
     ゆえ、罪を贖う対象者となる事はできません。そこで神は、このイエス様に全人類の罪
     を負わせ、十字架上で私たちの身代わりとなられ死んで下さいました。
     そして、神はイエス・キリストを3日後によみがえらせたことによって全人類の罪が
     赦されたことを実証されました。この真理を信じ受け入れるならば、罪人であっても、
     神の国に入ることができるとイエス様はおっしゃいました。つまり、死んでおしまい
     ではない、死をつきぬける勝利者の国、神のおられる国で永遠のいのちをもって生きる
     ことができるのです。
     どうか、このイエス様のメッセージをひと事としてではなく、自分に向けられている
     ことに気づかれ、イエス様の事をもって知って受け入れていただきたいのです。必ず
     幸いな人生になります。

     第4回目のメッセージのテーマ:「平安があるように」
    
ヨハネの福音書20章には、復活なさったイエス様が弟子たちの所に現れた時のことが
     書かれています。“平安があなた方にあるように”(19節26節)とイエス様はおっ
     しゃいました。又“あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸い
     です。”(29節)とおっしゃいました。そして、このヨハネの福音書を書いたヨハネは
     こう書いています。“しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリスト
     であることをあなた方が信じるため、また、あなた方が信じて、イエスの御名によって
     いのちを得るためである。”(31節)


     目に見えないお方を受け入れるには、信仰が必要です。又“平安があるように”のメッ
     セージは、人生訓話ではありません。復活なさった神の御子からのことばだからこそ
     力強く信じる者を励ますのです。
     クリスチャンは、イエス様の十字架の贖いの死ゆえに与えられた永遠のいのち、復活の
     いのちを信仰によって希望をもちます。この希望があるからこそ、苦しくても先へ一歩
     歩み出せるのです。そして、この激動の時代にあっても「私は、イエス様に守られている」
     という平安をもって生きることができるのです。どうかイエス様を信じこの平安をご自分
     のものとして本日、帰っていただきたいと願っています。

     
     この4回の福音(good news=良き知らせ)のメッセージを通して「もちは見ているだけ 
     ではその味はわからず。まずはひと口食べてみよ」の故事を思いました。すでに何回も
     福音のメッセージを聞かれている求道者のおひとりおひとりに神様が「私を回りからなが
     めているだけでは私の与えたい恵み、幸いはわからないよ。まずは1歩進んで、信じます
     と言って、私のふところに飛び込んでみよ」とおっしゃっているように、感じました。
     力強く福音を語って下さった尼川さんに感謝します。又奥様のすばらしい賛美の歌声も
     感謝でした。この会で求道者の心に蒔かれた福音の種が育ち豊かな実を結びますよう切に
     お祈りいたします。